大阪碁キャンプ2019

 

 

ホーム     会場     内容     料金    チーム     連絡先 

 

プログラム

 

キャンプ

 

毎週月曜、火曜、金曜、土曜、日曜

-リーグ戦 - 指導碁 - 講座 - 棋譜解説 - 対抗戦などイベント

水曜、木曜は休日とし、近場観光、関西棋院訪問、伊勢1泊旅行などになります。

. - 関西棋院訪問ではプロ棋士の公式戦を見学することが出来ます。

 

  

月曜 火曜 水曜 木曜 金曜 土曜 日曜
           

6月23日

チェックイン

6月24日

リーグ戦 棋譜解説 講座

 

6月25日

リーグ戦 棋譜解説 講座

6月26日

自由観光

6月27日

自由観光

6月28日

リーグ戦 棋譜解説 講座

 

6月29日

関西学生との対抗戦

6月30日

院生見学 関西棋院子供教室と対抗戦

7月1日

リーグ戦 棋譜解説 講座

7月2日

リーグ戦 棋譜解説 講座

7月3日

関西棋院訪問

大阪城観光

7月4日

自由観光

7月5日

リーグ戦 棋譜解説 講座

7月6日

関西囲碁ファンと対抗戦

7月7日

伊勢旅行 伊勢囲碁ファンと交流

7月8日

伊勢観光城、伊勢神宮、伊賀忍者博物館

7月9日

リーグ戦 棋譜解説 講座

7月10日

リーグ戦 優勝記念対局

さよならパーティ

7月11日

金沢へ移動

7月12日

ジャパン碁コングレス初日

7月13日

ジャパン碁コングレス2日目

7月14日 

ジャパン碁コングレス3日目

7月15日

ジャパン碁コングレス最終日

7月16日 

帰国

         

 

 

チェックイン

 

TTSセンターにてチェックインをしていただきます。

 

リーグ戦

 

18日間で8回戦います。(1日1局)対局後はプロ棋士による棋譜解説が受けられます。

リーグ優勝者は特別にトッププロと対局 碁キャンプ最後の日にリーグ優勝者がトッププロ棋士にチャレンジします。

大盤解説を行います。

 

 

指導碁 棋譜解説  関西棋院訪問

 

指導碁と棋譜解説は基本的に毎日行います。

全員必ず3週間のうちに複数局は指導碁が受けられます。

また棋譜解説も多く受けることが出来ます。

関西棋院訪問、プロ対局見学 7月第二水曜 に関西棋院を訪問します。

プロ棋士の対局を生で観戦することが出来ます。

 

 

 

対抗戦 関西棋院子供囲碁道場生

 

将来プロ棋士になるかもわからない子供達と対抗戦を行います。

ほとんどが小学生ですが強いです。

 

院生対局見学

 

将来の名人になるかも知れない院生対局を見学することが出来ます。

 

対抗戦 関西学生

 

関西にある大学の囲碁部が集まり対抗戦を行います。

学生には元院生など強豪がそろっています。 また交流を深めます。

 

 

 

伊勢旅行 伊勢の囲碁ファンとの交流

 

 

7/7日曜、7/8月曜に京都に行きます。

7/7日は囲碁交流

7/8は伊勢神宮、伊賀上野公園、上野城

 

横丁棋院

 

横丁棋院はおかげ横丁の古道にあります。 このスタイリッシュな古い木造家屋は、日本で最も古い木造の建物の1つです。 囲碁イベントや国際囲碁トーナメントは、定期的に横丁棋院で開催され、井山裕太九段をはじめ世界のトップ国際プロ棋士が訪れています。

おかげ横丁

内宮門前町の一画にあり、江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されたおかげ横丁。約4000坪の敷地内には、伊勢志摩ならではの食べ物屋やおみやげもの屋が建ち並ぶなど、楽しいスポットがいっぱいです。 また、日本の神話をテーマにした体験施設「おかげ座 神話の館」では、神話のあらまし(国生みから天孫降臨まで)を映像と和紙人形などで展示しています。 毎日がお祭りのように賑わい、いつもたくさんの観光客であふれています。

伊勢神宮

 

 

伊勢神宮の正式な名称は「神宮」といいます。伊勢市とその周辺に鎮座する125のお社の総称で、親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれています。 日本全国の神社の中でも特別な神社として敬われており、125社の中心は、皇室のご祖先である「天照大御神」をお祀りする皇大神宮(内宮)と、天照大御神のお食事を司り、衣食住はじめ産業の守り神である「豊受大御神」をお祀りする豊受大神宮(外宮)です。 今から2000年以上前、天照大御神の永住の地を探し求め諸国を旅していた倭姫命がたどり着いた五十鈴川上流で「天照大御神」の「この国は美しい」というお告げが聞こえたため、この地に社を建てたのが神宮の起源といわれています。 その約500年後、「豊受大御神」が伊勢に迎えられました

上野城

 

伊賀上野城とは 慶長13年(1608)8月、徳川家康は、伊予の国(現在の愛媛県)宇和島城主であった藤堂高虎に、 伊賀の国10万石・伊勢の内10万石、伊予の内2万石、合わせて22万石を与え国替えさせました。 高虎は家康の信任が厚く、築城の名手でもあり、大坂・豊臣方との決戦に備えるための 築城でした。筒井定次の城が大坂を守る形をとっていたのに対し、 高虎は、大坂に対峙するための城として築きました。慶長16年(1611)正月、 本丸を西に拡張し、高さ約30メートルの高石垣をめぐらして南を大手としました。 五層の天守閣は、建設中の慶長17年(1612)9月2日、当地を襲った大暴風で倒壊しましたが、 外郭には、10棟の櫓(二重櫓二棟、一重櫓八棟)と 長さ21間(約40m)という巨大な渡櫓(多聞)をのせた東西の両大手門や御殿などが建設されました。 慶長19年(1614)の大坂冬の陣、その翌年の夏の陣で豊臣方が敗れました。その後、 幕府は城普請を禁じたため、伊賀上野城では天守閣が再建されないまま 伊賀国の城として認められ、城代家老が藩政をあずかりました。幕末まで国替えなく、 この地を収めました。 藤堂高虎(1556-1630) 近江国犬上郡で生まれ、浅井長政らに仕えたのち、織田信澄、羽柴秀長に仕え、 小牧・長久手の戦いなどで戦功をあげ紀伊粉河で2万石の大名となりました。 豊臣秀吉が宇和島7万石の領主としましたが秀吉の没後、 徳川家康に重用され今治20万石の大名となりました。 慶長13年(1608)に伊賀、伊勢の安濃津に移封となり伊予の2万石と併せて22万石の 領主となりました。 藤堂氏はその後、32万3954石にまで加増され大藩となりました。

 

 

忍者博物館

「忍者」とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて大名や領主に仕えて情報を収集したり、 ターゲットを暗殺したりした人達のことです。 奈良時代以降、伊賀には東大寺や興福寺といった多くの荘園がありました。 寺や貴族が管理する荘園を良く思わない伊賀の地元民たちが「悪党」となって、 荘園領主に奇襲やかく乱などの戦法を駆使し反抗しました。 これが忍者の起源といわれています。 普段は町人に溶け込んで行商をしたり農業をしたりして、 指令が下ると戦場やその後方へ出向いて活動したと言われています。

 

 

 

 

(オプション料金) 20000円(シングルルーム)

 

近場観光 紹介

 

大阪城

大阪の有名なお城 豊臣秀吉が創設しました。

 

金閣寺

京都は昔の都であり日本伝統文化の宝庫です。1600の仏教寺院および17の世界遺産があります。

奈良

奈良も昔の都であり伝統文化の宝庫です。